有澤 隆
時計雑誌副編集長から、フリーライターに。
とにかく機械式時計が大好きで、スイスの時計職人たちとの関わりも深い。
11月には自身による時計解説本を発売予定。
ご期待ください。
すばらしき独立時計師たちの世界
第3回 奥さんあってのまじめな時計師
第2回目を書いてから間が空いてしまった。実は、11月に発売予定だった『時計の歴史』の校正やら修正やらに追われていたのだ。結論から述べると、私の手を離れたのが12月中旬で、発売は来年1月になった。自分で言うのも何なのだが、時計の歴史をコンパクトに凝縮できたと思う。メカのことはあまり触れていないが、時計に関心のある方はぜひともご一読いただきたいと思う。
本の企画が出版社に認められ、制作がスタートしたのは去年の今頃だから、ちょうど1年がかりになってしまった。三島社長のご子息の勤也氏にはスイスでの取材などにご尽力をいただき、写真は旭時計店のイベントでも活躍している嶋田敦之氏に大変お世話になったほか、キース・エンゲルバーツ氏やピーター・スピークマリン氏などにもいろいろと協力をしてもらうことができた。
ピーターはイギリスの時計の歴史に関する本(もちろん英語)をわざわざ取り寄せてくれて、プレゼントしてくれると言っていたのだが、9月に来日したときスイスに忘れてきてしまったので、制作のためには役立たなかったというオマケまである。
そのピーターだが、彼は自分の時計作りだけでメシを食っている。独立時計師といってもさまざまで、その多くが大手メーカーなどから依頼されて機構開発や設計を行っていたりしている。自分は時計師ではない、世界的に有名なアンティークウオッチコレクターだとまで言っている人物(これを読んでいる人ならわかるだろうなぁ)もいるほど。もちろん時計師にも事情はあるので、いいとか悪いとかいう話ではないが、自分の作品だけで稼いでいるというのは、ある意味で非常にまじめというか、絶滅危惧種になりつつある。
ピーターの場合、あまり表には出てこないが、彼を信じて陰で支えている奥さん、ダニエラさんの存在が大きいように思われる。非常にクレバーな女性で、ピーターが話に熱中して私には訳のわからないことをしゃべりまくっている(ピーターにはそういうところがある)と、ダニエラさんが「こういうことよ」ってな調子で噛み砕いてくれたりする。チリの出身ということだが、とてもきれいな英語を話すのだ。
容姿のほうは本人曰く「自信がない」ということだが、そんなことはないと思う。確かに飛びっきりの美人ではないし、体型もポッチャリしているが、夏川りみの大ファン(アルバムはほとんど持っているのだ)である私としては、それもまたかわいらしく思えるのである。
今年のバーゼルフェアでは、ハリー・ウィンストンのエクセンター・トゥールビヨンが話題になり、自身のヴィンテージ・トゥールビヨンも好評のうちに完売した。ピーターにはバーゼルフェアの2日ほど前にジュネーブにあるハリー・ウィンストンで偶然会ったのだが、そのときはとても疲れたというか、目に隈を作ってやつれ果てていた。あとで聞いたところによると、ハリー・ウィンストンからの約100本のオーダーが多大なプレッシャーになっていたのだそうだ。
そんなピーターの表情が晴れやかになったのは、バーゼルフェアが始まって3日目か4日目だった。ブースに立ち寄ってみるとピーターは不在で、ダニエラさんもどことなく浮かない顔をしていた。「ピーターは今ハリー・ウィンストンに行ってるの」
どうやら契約を含めた最終調整を行っていたらしい。それから15分ほども経っただろうか。ピーターが笑顔で戻ってくると、やや興奮気味にダニエラさんに話しかけたと思ったら、熱々のキス。何はともあれ、よかった。よかった。
「アリ、シャンペンをおごるよ」
ほんとうにいい奴なんだよね、ピーターは。